1974-04-11 第72回国会 参議院 文教委員会 第8号
大事だということを、いろんなところでも総理は強調されておるわけでありますが、私はこの閉鎖性というのは、何も最近の若い日本人だけが持っておるところの一つの通弊じゃなくて、日本人自体がやはりずっと前から持っておったところの私は通弊だと、こう思うんですが、何か総理の話聞くと、昔は非常に東南アジアに行っても日本人はよかったんだけれども、このごろの若いのは閉鎖性があり過ぎて困ると、こういう筋の話をテレビの対談あたりでも
大事だということを、いろんなところでも総理は強調されておるわけでありますが、私はこの閉鎖性というのは、何も最近の若い日本人だけが持っておるところの一つの通弊じゃなくて、日本人自体がやはりずっと前から持っておったところの私は通弊だと、こう思うんですが、何か総理の話聞くと、昔は非常に東南アジアに行っても日本人はよかったんだけれども、このごろの若いのは閉鎖性があり過ぎて困ると、こういう筋の話をテレビの対談あたりでも
しかし鹿児島の果てからテレビの対談あたりに出まして、それを全国民にぶち上げていくというには、私はあまり根拠がなさ過ぎると思うんで、そこのところをもう少し説明してください。促進剤という形なら促進剤という意味で言ってもらわないと、これは大混乱を来たしますよ。そうなれば、これは私は言い分があるわけです。花火なら花火と言ってもらわなければならない。